がんと向き合う

生きることは演じること

2014年11月27日

協力:NPO法人 リブ・フォー・ライフ美奈子基金

「どこかにいる僕のドナーさん、ありがとう!
骨髄バンクの皆さん、僕のドナーさんを僕に繋いでくれてありがとう!
家族、友人、医療関係の皆さん、すべてに感謝を込めて…
僕は俳優として生きます!」
これは2014年8月30日に開催された血液情報広場・つばさの20周年イベント
「いま感謝の“瞬(とき)”」に出演した樋口さんの心からの叫びです。
25歳で「急性骨髄性白血病」と診断されましたが、翌年には寛解に入り退院。
しかし、その翌年に今度は「骨髄異形成症候群」を発症し治療を続けていました。
3年後、にわかに病状が悪化し骨髄移植を決意。
移植は見事に成功し、今は舞台や映像で活躍しています。
血縁者ではないドナーさんからいただいた命、
関わったすべての人達への感謝を心の糧として生きていくことを誓います。

この度、この映像の続きに、樋口さんのインタビューの模様と、
闘病中に樋口さんが作詞した楽曲♪「僕は飛行機」を掲載いたしました。

最初の診断から、2回目の診断、その辛い毎日を支えたもの、自分の胸中、そして感謝。
今、まさに病気と闘っている患者さんとそのご家族への心強いエールもいただきました。

プロフィール

樋口 大悟さん(ひぐち だいご)

俳優 / 急性骨髄性白血病 骨髄異形成症候群 体験者
非血縁骨髄移植で克服

フィットネスインストラクターをしながら俳優を目指し、アクションクラブに入所して間もない25歳の秋、
2003.9月急性骨髄性白血病と診断され、八ヶ月の入院生活を送る。
3回の抗がん剤治療により、寛解に入る
2004.4月 に退院。
2005.8月 治療性の骨髄異形成症候群と診断されるものの、直ぐに骨髄移植は必要ないとの判断を受け、普通に日常生活を送る事になる。
ここから、三年間は月一回の通院検査が必須となる。
2008.7月 安定していた病状が、突如悪化。骨髄移植をするなら今が最良のタイミングと医師から伝えられるも、直ぐには踏み切れずに苦しんだ。一ヶ月後、移植する事を決意し、入院。
二回の抗がん剤治療、前処置を経て、
2008.11月 骨髄移植。
2008.12月 退院。
4カ月間の自宅療養の後に日常生活に復帰。退院から半年後には、復帰後初作品の出演を果たす。

今現在は舞台、映像にと、活躍の場を広げている。